溺れるものはわらをもつかむ。
必死の思いが伝わります。
目は口ほどにものを言うけど、手も言いますね。
手だけでなく、身体はものを言う。
はなちゃんが、スッポンみたいに首を伸ばして、おっぱいにむしゃぶりつくとき、首がものを言ってる。
下唇を突き出して、びえ〜ん!と泣くとき、下唇がものを言ってる。
はなちゃんは、最近いろんな物をつかみます。
というか、つかんだみたいなことになります。
はなちゃんの手のひらに、私の人差し指を乗せると、ぎゅっとつかむことがある。
つかんでるのじゃないと思う。
が、はなちゃんが私の指をつかんでると思ってしまう。
感激する。
そんなことで感激してどうする、と言われるだろうが、するのだからしかたがない。
タオルケットや、枕カバー、ハンカチなどをつかんでることがある。
はなちゃんが、タオルケットをつかんでると、タオルケットがただのタオルケットとは思えなくなる。
はなちゃんがつかむまでは、単なるタオルケットに過ぎない。
一枚の、ただの、ふつうの、どこにでもある、名もなきタオルケットである。
はなちゃんがつかんだ瞬間、ただのタオルケットではなくなる。
「はなちゃんがつかんでるところのタオルケット」になる。
関係代名詞つきの、由緒あるタオルケットになる。
はなちゃんの思いがこもったタオルケットになる。
見ているとしみじみする。
赤ん坊がタオルケットをつかんでるのを見てしみじみしてどうする、と言われるかもしれないが、するのだからしかたがない。
タオルケットをつかんだはなちゃんの手に、思いがこもっているように見える。
タオルケットと通じ合っているように見える。
タオルケットに手を合わせたくなる。
はなちゃんは、このタオルケット一枚を頼りに生きていくのだ!
はなちゃんをよろしく!
母が、要介護老人施設に入って間もないころのことだ。
まだ歩けたし、話もできた。
母の手を引いて歩いていたら、むこうから入居者のMさんがやってきた。
Mさんは上品な女性で、私のことを、昔近所にいた若者と思っていた人だ。
私と母を見ると、眼を細めて近づいて母に声をかけた。
「おねえさん、いいわね〜。この手を放したらダメよ」
施設の入居者には、ドキッとさせられることがあったが、このときも何だか厳粛な気持ちになった。
手は放したらダメです。