電車の駅には、いろんな人がいます。
どんな人間がいて何が起きるかわからないから、駅では、ぼーっとしていないで、周囲に注意していましょうというようなことが、新聞に書いてあった。
私は、注意してますよ。
注意はしてますが、アヤシイ人がいて何が起きるかわからないから緊張注意してるというのじゃなくて、おもしろい人いないかなあ、とキョロキョロ注意散漫的注意してるので、事故防止にはつながらないかもしれない。
昨日は、ホームに入ってきた電車の中に、修行僧を見つけた。
電車から下りたその人は、典型的修行僧ファッションであった。
脇に抱えた編み笠には、「熊野権現×××」という文字が見えた。
典型的、本格的修行僧と見えるのであるが、顔を見て、「ん?」と思った。
私よりやや若い感じの人だが、なんか、ちがうんですな。
修行僧の顔じゃない。
ヘンな人、困った人、という感じの顔に見えた。
ヘンな人、困った人だから修業してるのだ、ともいえるが、なんか、顔とファッションが一致しない。
違和感を覚えながらジロジロ見てたら、その人は、ホームに立ってた老婦人につかつかと近寄って、彼女に向かってしゃべり始めた。
何を言ってるのかは聞こえないが、一生懸命語ってる。
老婦人は、応対に困ってるようだ。
しばらく真剣な顔をして語っていたが、そのうち、突然ぷいと向こうへ行ってしまった。
やっぱり、ヘンな人、困った人だから、修業してるんでしょうな。
先日読んだ宗教とカネに関する本で、ある「修行僧」のことが紹介されてた。
その人は、海水浴場で「海の家」を経営してる。
シーズンが終ると、秋から春の間、「修行僧」の格好をして、全国の盛り場などで托鉢をする。
相当な収入になるそうです。
修業でもなければ、僧でもないけど、サギでもないんでしょうね。
大新興宗教に比べれば、この個人営業、かわいいものだといえるかもしれません。
後は税金の問題ですが、大新興宗教に比べれば、以下同文。