時々、新聞の見出しなんかを読みまちがえます。
今朝、書籍広告欄を見てたらヘンなタイトルの本があった。
『追悼のおしり』
一瞬、えっ!?と思ったが、見直したら『追悼のしおり』でした。
「著者の自伝的三部作」とのことでした。
失礼しました。
きのう、本屋の宗教関係の棚を見てたら、『裸の魅力』というのがあって、おや?と思って見直したら『禅の魅力』でした。
なぜこんな読みまちがえをするのでしょうか。
似た言葉があると、自分の慣れ親しんだ方に読みまちがえるのだろうと思われるかもしれない。
しかし、私は、「しおり」より「おしり」に慣れ親しんでるということはありません。
逆ですよ。
本はよく読むほうだから、「しおり」には慣れ親しんでます。
「しおり」には人並み以上に慣れ親しんでるとは思うけど、「おしり」は人並みだと思います。
次に、「禅」と「裸」だ。
これは難しい。
私は、「禅」に慣れ親しんでるとはいえないし、「裸」も似たようなものです。
・・・まあ、まじめに考えるほどのことではないですね。
まじめに考えなければならんのは政治だ。
「内閣不信任案提出」
なに考えとるねん、と思いますが、真面目に考えてる人1割、ヘンなこと考えてる人1割、8割は何にも考えてないと思う。
政治家に限らず、そんなもんでしょう。
きのう、国会の「党首討論」を見た。
今朝の朝日新聞には、「日ごろ温厚な谷垣氏が、こめかみに青筋を立てて首相を追及した」と書いてあった。
立ててました。
たしかに立ててましたが、私には、谷垣さんが青筋を立てよう立てようと頑張ってるように思えました。
青筋を立てたほうが勝ち!と思ってるみたいでした。
青筋が立ってるかしきりに気にしてました。
ときどき、青筋が立ってるかどうか、こめかみのあたりを手でさわってたもん。
さわるだけでは安心できなくなったらしく、途中から手鏡を出して青筋を確認してた。
青筋が写ってるのを見て安心したように熱弁をふるってた。
終って席に戻るとき、満足そうな笑顔を浮かべてた。
「どうです!今日の青筋!うまく立ったでしょう!」
ああ、立った立った。
うまく立ってました。
しかし私は青筋を立てての追求は、それほど評価しない。
「寄り目」で追求して欲しかった。
「あなたは党内をまとめ切れていない!」と菅さんをにらみつけたところで寄り目をする。
菅さんが思わず噴き出したところをとらえて、「なんですか!不謹慎じゃありませんか!」と攻撃する。
これくらいはやってほしかった。