奈良県立美術館の礒江毅展会場は薄暗かった。
節電してるのかと思ったけど、ちがうんでしょうな。
客は、岸田劉生ほどじゃないけど、よく入ってたと思います。
岸田劉生が圧倒的に中高年女性だったのに比べて、こっちは老若男女入り混じってます。
この人は、「現代の写実」の代表だと思います。
「昔の写実」と「現代の写実」とどうちがうのか。
♪写実にちがいがあるじゃなし、描いてしまえばみな同じ、スッチャンチャラチャチャッチャと「お座敷小唄」の節で歌えるのは私と同じ年配の人ですネ。
「昔の写実」を見ると、「すごい!」「ほんものみたい!」「これは名人だ!」と思う。
「現代の写実」を見ると、「すごい!」「ほんものみたい・・・けど、なんかちがうな〜」「この人、だいぶと変わってるな」と思う。
「現代の写実」は、見つめてますね。
ものすごく見つめてる。
礒江さんの裸婦の説明に、完成までに2年かかったと書いてあった。
2年間そればっかり描いてたわけじゃないでしょうが、まあすごいです。
それを聞いただけでしんどくなる。
人物を描く時のモデルは非常に長期にわたって来てもらったようです。
モデルが気の毒がって、モデル代をまけてくれたこともあるそうです。
「ちょっといいはなし」ですが、私が通ってる人物画教室の老先生の話の方が好きです。
「いっぺんモデルさんに来てもろたら、あっちからもこっちからも描いておくんです。何回も来てもろたら高ついてしゃ〜ないからね」
あんまり見つめるのは不自然だと思います。
礒江さんの絵を見てると、礒江さんが対象を見つめるのに付き合わされてるような気がしてくる。
私はそんなに見つめたくないです。
「存在の神秘」に迫りたくもない。
しんどいです。
今回の展覧会には、礒江さんの学生時代のデッサンも展示されてます。
これは、すなおに、すばらしい!と思えます。
修業の成果として拍手したくなります。
作品となると、しんどい。
難しいもんです。
作品を見てるとき、なんだか異様な気配を感じました。
気配の漂ってくる方を見たら、展示室のすみに、男性が一人じっと立ってます。
その、私と同年配と思える男性から異様な気配が漂ってくるんです。
作品の前でじっと立ってるならおかしくない。
なんと、その男性は、作品がかかってない壁面を、じ〜〜〜っとエンエンと見つめてるんです。
少なくとも二十分は見つめてたと思います。
この男性が、礒江芸術のよき理解者なのか、単なるけったいな人なのか、判断を保留するものなり。