若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

男装の麗人

朝日新聞朝刊。

宝塚歌劇団の往年の大スター、春日野八千代さんが亡くなった。
デザイナーのコシノヒロコさんによれば、「男装の麗人」と呼ぶにふさわしいスターだったということです。

私が幼いころ、近所のお姉さんたちが集まって写真を見ながらわいわい言ってました。
その時、私は、「宝塚」の「春日野八千代」さんが「よっちゃん」というニックネームであることを知りました。

60年ほど前から知ってるんですから、えらいもんですね。
もちろん、えらいのは私じゃなくて春日野八千代さんですよ。

『THE Studios of Paris』を読み終わりました。

この本を読んで、一気に19世紀末のパリのアトリエ事情に詳しくなってしまった。

よく調べられたもんだと感心します。
モンマルトルの、○○通り34番地には、1880年ごろAという画家のアトリエがあって、その隣にはBという彫刻家のアトリエ、通りをはさんだ向かいにはCという版画家のアトリエがあって、Cが死んだあとDという画家が借りた、てなことが書いてある。
びっしり書いてある。

100年以上も前のことがわかるんですね。

このころの画家というのはなんだったんでしょうか。
当時売れっ子だった、カルロス・デュランという画家について、ある評論家が、「彼はアイドルである。正確にはアイドルの一人である」と言ってます。

そのころ売れっ子の画家たちは、週に一度アトリエを開放して客や批評家を招いたそうです。
カルロス・デュランは、朝9時から11時までを開放時間と決めていた。
これは、当時の夜更かしが当たり前のセレブ女性にとっては非常識極まりない「早朝」だったんですね。
それでも彼のアトリエにはセレブ女性たちが殺到した。

ワシのアトリエに来たけりゃ早起きしろ!というゴーマンな画家と、早起きしてでも彼のアトリエに行くのがファッショナブルという奥様お嬢様たち。
よくわからん世界です。

別の批評家に、「カルロス・デュランがこれほど人気者でなかったら、もう少しいい絵が描けただろう」と言われてますから、売れるのもつらいですね。

さて、この本の最後に、男装の麗人かどうかは知らんが、男装の女性画家が出てきます。

ローザ・ボヌールという人で、動物を描くのが得意で超人気画家だったそうです。
この人の絵は版画になって飛ぶように売れた。
超巨大油絵も、当時の最高価格でどんどん売れた。

田舎にお城みたいなアトリエを作って、動物園も設置してよほどのことでない限りパリに行くことはなかった。
レジオンドヌール勲章を、ナポレオン三世のお妃がわざわざ持ってきてくれたというんですから、すごいです。

超巨大な絵をはしごに上って描くんだから男装が便利だったという説もあるし、「ヘンタイ」だったという説もある。

1857年、彼女は警察に申請して「男装許可証」をもらったと書いてあります。

なんじゃそれは?