週刊誌の見出しは、わかりやすいものが多いです。
見出しにひかれて記事を読むと、なんのことだかわかりにくいということが多い。
白黒はっきりした見出しと灰色のはっきりしない記事の組み合わせが週刊誌の特徴のように思います。
今日新聞で見た「週刊新潮」の見出しは、珍しくわかりにくかった。
「なぜか女の影が見えない小泉進次郎青年局長が心配だ」
何が心配?
「連夜謎の熟年美女と密会を重ねる小泉進次郎青年局長が心配だ」
これならわかります。
小泉元首相も心配でしょう。
この記事は、週刊新潮がやけくそになって仕立てたものだと思う人が多いのではないでしょうか。
小泉進次郎青年局長の女性関係を暴いて記事にしてやろう!
若きイケメン政治家、そのモテモテぶりからして危うい女性関係の一つや二つや三つや四つ、すぐ出てくるぞ!
よっしゃ!と張り切って、小泉進次郎氏の身辺周辺敵味方学友ご近所かまわず取材しまくり、自動車を追跡下りれば尾行、24時間体制ではりついて3ヶ月、ついに何も出てこなかった。
腹立ちまぎれというかくやしまぎれというか、カネもかけたことだしなんとかモノにしなければ、ということで、この見出しの記事になった。
まあ、こう想像するのがふつうでしょう。
しかし、それは下種の勘繰りというものだと思います。
私は、すさんだ現代日本の奇跡と言われるほど心の清らかな男ですので、そんな勘繰りはしません。
私の心の清らかさはギネスブックものです。
いや、モンドセレクション金賞ものかもしれない。
どっちでもいいけど。
週刊新潮は、小泉進次郎氏のお嫁さんの心配をしてるんだと思います。
彼ももう31歳、そろそろ身を固めてもいいんじゃないか。
誰かいい人ないのかね。
編集会議でこういう話になったんでしょう。
我々が心配するまでもなく、周囲がおぜん立てを整えてますよ。
じゃあ、その線で取材してみて。
了解。
ところが取材を進めて驚いた。
縁談のエの字もない!
これはお父さんや親せきにまかせてはおけんぞ。
で、「心配だ」となったのではなかろうか。
記事も読まずに見出しだけでそんなことを言うのは無責任じゃないかと批判されるかもしれない。
しかし、記事を読んでもなんだかわからないことが多いので、読まずに書いても、大勢に影響ないと思います。