金田一京助さんは有名ですね。
小学生から知ってる。
国語関係の辞書をたくさん作ってるえらい学者、という印象です。
名前にインパクトがあるから、よけい印象に残るんでしょうが、日本の国語辞典の大半は金田一さんという気がするほどです。
小学校の国語の教科書に、金田一さんがアイヌ語の研究を始めた頃の話がのってました。
これを読んでいっそう「えらい学者」という感じが強くなりました。
「金田一京助=えらい学者」が崩れたのは、二十年ほど前でしょうか、京助さんの息子の春彦さんが書いた京助さんの思い出話を読んだからです。
これを読むと、京助さんはとんでもなくずれた困ったおじさんである。
関係ない人の披露宴に出たり、皇居に招かれてのの御前講義で、制限時間15分のところを1時間以上しゃべりまくったり、典型的学者バカという感じです。
家庭内では完全に「困ったさん」扱いで、本人はそれが不満で、「外ではえらいのよ!」とすねてたそうです。
この本で、金田一京助監修の辞書が多い理由がわかりました。
弟子たちが名前を借りるんだそうです。
さて、最近家内がこれを読んで、京助さんに激しく惹かれちゃった。
で、金田一京助随筆集全3巻を買いました。
名文ですよ。
情理兼ね備えた名文である。
すばらしいです。
この人のどこが困ったさん?
どこがずれてる?
私の中では、「えらい学者」どころではなくなりました。
春彦さんはなぜあんな本を書いたのであろうか。
息子としては、えらすぎるおやじというのも困ったものなのでしょうか。
「あんまりうちの親父を尊敬しまくらないでください。神様仏様じゃないんですよ!」と訴えたかったのだろか。
随筆集の題材はいろいろです。
昭和6年に、黄色い牛のことを書いてる。
近所の農家の人が野菜が売れなくなって困ってるという。
奥地の安い野菜が市場に出るから競争に負ける。
最近朝鮮から安い牛が輸入されるようになって、奥地の農家がその牛で野菜を市内に運べるようになったのが原因である。
京助さんは、アメリカが日本の安い人件費に負けるのと一緒だなと想い、経済問題について語ってます。
国語とアイヌ語のことだけで頭がいっぱいという人ではありません。
随筆集を読んでると、理想の文人であり、理想の生活人という感じです。
春彦さんの本を読むと、完全な困ったさんである。
金田一京助をどうするか、苦慮しております。