孫を見てると、ママの偉大さがよくわかる。
今、わかりやすいのはあきらくんです。
ママが留守の時、私といっしょに遊んでる。
きげんよく遊んでる。
楽しく遊んでる。
夢中で遊んでる。
無心に遊んでる。
つまり、1歳5ヶ月児として非の打ちどころなく遊んでる。
そこへ、ママが帰ってきて、「カタッ」とか「コトッ」とか、かすかな音がする。
かすかですよ。
実にかすかな音。
音がしたようなしないような、そんなかすかな音に、あきらくんはパッと反応するんですな。
すっくと立ち上がって、「ママ!」と言う。
ミニカーで遊んでようが、テレビを見て笑ってようが、関係ない。
「カタッ」
「ママ!」
無心に遊んでると見えて、実はちがうんですな。
心の片隅、頭の片隅に、「ママ不在感」があるんですね。
不在感を抱えたまま、一見無心に楽しそうに遊んでるんですね。
いや、たぶん片隅じゃないな。
心のど真ん中に「ママ不在感」がある。
大脳か小脳か知らんが、その中央部中枢部に、どっかりと「ママ不在意識」がある。
そうでないと、あれほど敏感に反応しないと思います。
「カタッ」というかすかな音で即お払い箱になるあわれかつみじめな私でございますが、まあ短い間とはいえ「偉大なるママ」の代用品が務まるだけでも立派なもんじゃないかとわれとわが身をなぐさめるのであった。