家内は、子供のころ近所のお姉さんにピアノを習ってた。
すぐやめたのでたいした記憶はないけど、ご近所のことなので、そのお姉さんが結婚したことや、離婚して子供を連れて帰ってきたことなどは聞いて知っていた。
だいぶ前にその方を見かけたが、年を取って身体がかなり不自由で気の毒そうな状態であった。
それをある人に話したら、「あの人は現代音楽の作曲家として活躍してる」と聞いて驚いた。
「現代音楽」というと、私にとっては、現代音楽の人には非常に申し訳ないですが、「わけのわからんおもしろくもないもの」という感じです。
「現代音楽の作曲家として活躍」とはどういうことなのであろうか。
私の周囲には、「現代美術の作家」として活躍してる人がいます。
好き勝手に作品を作って、年に一度くらい発表してる。
それだけである。
活躍してると言ってもいいし、何もしてないと言ってもいい。
それと同じことだと思うと納得できる。
私は、「現代美術」はなんとなくわかるというか、身近だけど、「現代音楽」は縁がないというだけの話です。
さて、家内のピアノの先生ですが、ひょんなことから、まったく実にひょんなことから、その方の「わが人生」というような文章を読むことになった。
手書きの数ページのものですが、なんとも壮絶な人生である。
生まれつき目が不自由だったというんですが、子供だった家内の記憶にはありません。
家内のピアノの先生だった現代音楽の作曲家の壮絶な人生を読むことになるというのも不思議な話で、家内と二人、しみじみしました。