『フェルメールとその周辺』という本を読んでます。
著者は、イエール大学の経済学教授、J.M.モンティアスさんで、17世紀のオランダについて研究してる方のようです。
フェルメール関連の文書研究は1870年ごろから始まった。
もう新しい発見もないだろうと思っていたら、フェルメールの父親関連の文書を発見して、それを手掛かりに対象を広げていったようです。
著者が調べた「公証人が作った文書」というのが、私にはよくわかりません。
「遺言書」くらいはわかりますが、市民のいろんなもめごとの「証言集」みたいなのが多いようです。
そういう、とるに足らない人たちのとるに足らないもめごとの証言集が、何百年も保存されてるというのが不思議です。
もちろん、「画家フェルメール関連書類一式」というような形でまとめて保存されてるわけじゃない。
著者は、オランダ、ベルギーの15の都市の、それぞれ何の関係もない文書を調べ上げて、「あ、これはフェルメールの父親じゃないか」「ここに出てくるのは、フェルメールのおじさんじゃないか」というような感じで、フェルメールとその周辺の関連図が徐々に浮かび上がってきたようです。
文書を調べるというのもなかなか大変ですね。
古い書類は、直接触らせてもらえない。
日本でもよく、白い手袋、マスク姿で「古美術品」などを扱ってますが、そういう雰囲気ですね。
著者は、昔の研究者はよかった、とうらやましがってます。
資料を持ち帰って、青鉛筆で線を引いたりしてる。
今ではとんでもない話です。
さて、フェルメールのおじいさんとおじさんは贋金作りで告発されて、おじさんは牢屋に入れられたし、おじいさんは身を隠してたけど、今でいう「司法取引」で許された。
おばあさんは、裏の世界ではかなり名の知れた手ごわい女だった。
フェルメールのお父さんは、宿屋を経営しながら、美術品の売買もしてたようですが、ビジネスとしてはうまくいってません。
お父さんの借金の証文はたくさん残ってる。
返済しないまま死んだ。
いろんなもめごとの証人として証言した記録もたくさん残ってる。
ナイフを使った暴力沙汰の現場にも居合わせてる。
34歳の時に、友人二人といっしょになって、兵隊を相手にケンカをした。
かなりの傷を負わせて、その傷がもとで兵隊は死んでます。
相手にも落ち度があったのか、カネを払って一件落着だったようです。
私は、こういう人に近づきたくいないです。
著者の評価は好意的です。
フェルメールのお父さんは、衝動的な面もあったかしれないが、社交的で積極的で向上心に富んだ人だったというんです。
うさんくさい人たちとも付き合っていたけど、訴えられたことはない。
借金はきちんと返さなかったけど、税金は払ってた。
そして、何よりも評価すべきことは、息子に画家としての訓練を受けさせたことである。
当時のフェルメール家にとっては、かなりの大金をかけている。
世界の美術愛好家は、フェルメールのお父さんにいくら感謝してもしすぎることはない!
まあ、そういわれれば・・・。