日本近代彫刻の父(だったと思います)高村光雲の『回顧談』を読みました。
「キンドル無料本」なので読む気になったんです。
「無料本」を読まなければ損!という勢いで無料本ばかり読んでます。
これは光雲晩年の「昔語り」で、楽しく読めました。
光雲は12歳の時(かぞえ年?)、木彫家高村東雲に弟子入りします。
当時(幕末)「弟子入り」は、11歳か12歳がふつうだったようで、13歳ではちょっと遅いと言われたらしい。
法隆寺大工の西岡常吉さんは、「中学出てからでは遅いんです」と語ってますから、体で自然に覚えるのは11、2歳がいちばんいいんですかね。
弟子入りして10年修行して、1年お礼奉公してから独立する。
修行して腕が上がると、コンクールなんかなくても業界で自然に評価されるようになったものだそうです。
相手の言葉遣いが変わってくる。
小僧扱いじゃなくなるんですね。
師匠から一人前になったと認められると、師匠の作品を作るようになる。
高村東雲が博覧会への出品を求められたとき、光雲に作らせてます。
「代作」というのじゃなくて、そういうものだった。
のんきである。
のんきといえば、光雲の「兵役」の話ものんきです。
明治8年だったか、光雲23歳の時、役所から書類が来た。
兵役がどうとか書いてあるけどなんのことかわからなかった。
そういえば、いつだったか「ネズミ年」の男にそんな書類が来ていたようだなあ、という感じだった。
「おれはトラ年だけど、今年はトラ年の番なのかなあ」とぼんやり考える程度だった。
今とちがって新聞を読むわけじゃなしテレビを見るわけじゃないから、国が何をどう決めようと知るわけない。
で、「兵役だ!」とわかってあわてて色々調べたら、長男だと免除されるというので、次男だった光雲は師匠の妹の養子になってめでたく「長男」として兵役を免れた。
読んでいて不思議に思ったのは、光雲が一流の木彫家として知られるようになっても生活が楽にならないということです。
芸術家ではなかったんですね。
職人の社会的地位が低くて手間賃も安かったようです。
光雲が一人前の木彫家になった時代は廃仏毀釈の嵐で仏像が流行らなくて非常に苦しい時代だった。
光雲は西洋美術に目を向けて木彫の新しい世界を開拓するだけでなく、弟子を育てて木彫を盛んにしようと努力してます。
才能に恵まれ努力を重ね功成り名遂げたといういいお話でした。