人類の散髪の歴史を探ろうというのではありません。
我が人生も残りわずか、私の散髪の歴史を総括しておきたい。
記憶にある一番古い散髪屋は、「錦水湯」という風呂屋の並びの「村田」という店である。
幼稚園のころ、この店の散髪の椅子に座ってラジオから流れてくる音楽に合わせて指でリズムをとってた。
主人がそれを見て「おーおー、いちにんまえに」と笑った。
侮辱されたようでムカッとしたのをいまだにおぼえている。
プライドが高く傷つきやすく執念深い私の性格を表すエピソードである。
小学校に入るとちがう散髪屋に行くようになった。
その店のテレビで喜劇をやってて映画「昼下がりの情事」をネタにしてたので1957年ごろだとわかる。
その店をやめて「中島」という散髪屋に行くようになった。
「中島」では散髪代を払うと10円くれるという情報に飛びついたのである。
小学4年の時丸刈りにしてるんですが、そのときのことはぜんぜんおぼえてない。
その年頃に丸刈りにするのが当たり前だったんでしょう。
しかし、当たり前にしては写真館で写した記念写真が残ってる。
しかも「使用前」と「使用後」の2枚。
気合が入ってる。
長年私にとって謎の写真であった。
このポーズはいったい・・・(汗)?
「ジャニーズジュニア」に応募という時代でもないし・・・。
「端午の節句」とか「七五三」とかするウチじゃなかったし、入学、卒業記念に写真館でということもなかったから「丸刈り記念」にわざわざ2回というのは非常に不思議です。
元服というような感じだったんですかね。
(この写真と今とぜんぜん変わってないのも非常に不思議である)
中学に入ると電車通学だったので、学校帰りに駅の近くの散髪屋に行くようになった。
「谷村」という店で足の悪い主人だった。
高校に入った時「いい学校に入ったね」と言ってくれた。
言ってくれたのに高校に入ってから学校の近くの店に行くようになった。
クラブの部長だったgicchonさんに誘われたというか無理やりひきづりこまれた。
いや、散髪に無理やりというのもヘンだから記憶ちがいかもしれない。
高校から大学にかけて散髪は試練の場となった。
ひげそりの時顔をさわられるとこそばくてしかたない。
必死にこらえても笑ってしまう。
大学の時が最悪だった。
下宿の近くの散髪屋で、主人と奥さんと若い娘さんがいた。
若い娘さんの時が最悪中の最悪だった。
さわられる前から顔がむずむずしてくる。
イスをにぎりしめて目をぎゅっと閉じ歯を食いしばり体を硬直させ足を突っ張っりよじれねじれのたうちふるえけいれんしこむら返りを起こすまでこらえにこらえても耐え切れず、くくく~!ぶっは~!と笑ってしまう。
毎度のことに娘さんがあきれて「くすぐったがりねえ」とぶぜんたる表情で言ったのをおぼえてます。
散髪屋の椅子で笑いをこらえきれず、くくく、ぶっは~と笑い転げながら私の青春は終わった。