「艶福家」という言葉がふと浮かびました。
広辞苑によれば「艶福」とは「女にもてる、男の幸せ」のことである。
そうかな。
身の破滅を招くかもしれないのではないか。
「艶福」とは「女にもてない男が、もてるってしあわせだろうなあとうらやましがっていうことば」と言ったほうがいいかもしれない。
もてる身にもなってください。
と言ってみたい。
「艶福家」という言葉を初めて目にしたのは中学生の時です。
大掃除か何かで家の整理をしてたら祖父関連の書類が出てきた。
何かの機関紙みたいなのがあって読んでたら祖父が「艶福家」と紹介されてたんです。
中学生男子として非常にイやな気分だったのをおぼえてます。
祖父祖母のことはほとんど何も知りません。
祖母は大正9年に亡くなってるし、祖父は昭和16年。
二人とも私の親が結婚する前に亡くなってる。
母が二人を知ってたらいろいろ話を聞いたと思う。
父には姉が5人いたけど、父からも伯母たちからも祖父母の話はほとんど聞いてない。
特に祖母のことは皆無です。
で、祖父母のことははナゾ。
二人は富山の出身で、祖母には男兄弟がいたのに祖父を婿養子として迎えてるのがナゾ。
婿養子を取ったということは跡取り娘のはずなのに二人で大阪に出てるのもナゾ。
何か富山にいられないような不祥事でもあったのか。
祖父が大阪大学の事務長だったという話を誰かから聞いたことはあるくらいで、何をしてたのか不明。
オルガンや蓄音機を買ったり娘たちにも高等教育を受けさせてるからある程度の収入はあったと思うけど、家は借家で亡くなった時には何も残ってなかったそうです。
ただ株を持ってた。
私が子供のころ大阪の「木津川土地建物株式会社」から祖父あてにときどき封書が来てた。
祖父はとっくに亡くなってるのに変な話だと思って母に聞いたら、「おじいさんがこの会社の株を持ってて、配当金を取りに来いという手紙」とのことだった。
配当金は500円で母は取りにいかないと言った。
中学生で月300円の小遣いだった私には魅力的な金額であった。
で、中学の帰りにその封筒を握りしめて大阪市電を乗り継いで木津川べりのその会社に行った。
がらんとした事務所で500円もらったことだけおぼえてる。
もらったのはその時だけです。
子供が来た、ということで以後案内をくれなかったのかもしれない。
ナゾの艶福家である。