新聞の補聴器の広告。
私が補聴器とを知ったのは、小学生の頃です。
祖母が使ってました。私も試してみたけど、あまり役立つとは思えませんでしたね。
数年前に93歳で亡くなった伯母は、耳は全く聞こえませんでしたが、補聴器に頼ることなく、「カン」で会話をしていました。
恐るべき、カンでした。
半年ほど入院した病院の、お医者さんや看護婦さんは、伯母はある程度聞こえると思っていたほどです。
私も、伯母の側で、家内や妹と話をしていて、伯母が会話に割り込んできた時、その内容の的確さに驚いたことが何度かあります。
「聞こえている」と誤解されても仕方がない、というか、「聞こえている」と言ってもいいのか?
細かい話をすると、全く聞こえていないと分かるのです。
伯母との会話は、こちらの言いたいことはノートに書いていました。
明治39年生まれでしたが、おばあさん臭くない人でした。
一人できちんと暮らしていましたが、91の時に倒れて、寝たきりのようになりました。
病院で、お医者さんが、足を動かさないといけないと言って、伯母の足を曲げようとしたことがあります。
伯母は、顔をゆがめて、「痛い痛い」と言いました。
お医者さんが出て行った後で、ノートに、「よっぽど痛かったの?」と書いたら、伯母は、ペロっと舌を出して、「あれだけ言うといたら、今度からはやれとは言わんやろ」と言いました。
あきれました。
伯母は子供がなかったので、退院後は、ヘルパーさんに来てもらいました。
14インチの古いテレビを使ってたので、たいして高くないから、大きいのを買ったら、とすすめました。
近所の電気屋さんに、カタログを持って伯母の家に行ってもらったら、伯母が選んだのは、な、な、なんと、180万円の壁掛けテレビ!
驚いたのは電気屋さんです。
いくら注文されたといっても、相手は、ヘルパーさんに世話してもらってる、90過ぎの、寝たきりの、耳の遠いおばあさん。うっかり届けたら、悪徳商人扱いでしょう。
なんとか25インチのテレビでおさまったので一同安心しました。
その話を、私の高校時代の友達にしました。
「えー!壁掛けテレビ!おれもほしいねん」
「テレビないんか?」
「あるよ。あるけど壁掛けテレビが欲しいねん」
「そんなもん買わんでええ。今あるテレビを、お前が壁にぶら下がって見たらええんや」
私も、たまにはええこと言います。