若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

じゅんじゅん先生

朝の電車。
某女子高の制服姿の二人がぺちゃくちゃしゃべってる。
今のクラスがとても楽しいクラスだという、聞いていても楽しくなる話です。

「今のクラスいいよな〜」
「楽しいな〜」
「かわいい子多いもんな」
「うん!○ちゃんなんか、まじで、『かわいい!』て思うもん」
「ちょっとやばいで。でもかわいいな」
「みんな性格もいいし」
「それに先生!」
「そう!先生で全然ちがうもんな」
「じゅんじゅん最高!来年も『じゅんじゅんにして』ってお願いしててん」
「あ、去年もじゅんじゅんなんや」
「そう。私、じゅんじゅんに『来年もじゅんじゅんがいい』て言うててん。△ちゃんなんか、『金払うからじゅんじゅんにして』て言うてやってんで」
「え〜っ!金払うって、△ちゃん、じゅんじゅんを金で動かす気か?」

こういう時、私は、彼女たちの会話に加わって、じゅんじゅん先生のことが聞けたらどんなにいいかと思う。
戦艦陸奥の主砲の話を聞きに、運送会社に入っていくのは平気であるが、女子高生の会話に入っていく勇気はない。
消極性を責められても仕方がない。
修業が足りんと反省する。

以前、朝の電車で、私の前に高校生が四人輪になっていた。
女の子が一人、男の子が三人であった。仲良くしゃべってた。
輪になり方が微妙で、私も輪の一員のようでもあった。

女の子が、「アメいる?」と言った。
隣の男の子が手を出した。
女の子がアメを渡した。
次の男の子も手を出した。
その子にもアメを渡した。
次の男の子も手を出した。
アメを渡した。

このとき、私は、次は私が手を出す番だ!と思った。
私が手を出して、高校生たちがびっくりして笑い出す。
それでこそ、この短い物語は、美しくめでたく完結する。
出せ!
しかし、私は手を出すことはできなかった。

こういう時、つくづく自分が情けなくなる。
なぜ、なすべきことをできないのか?
自分が最善だと思うことを行う、それが人間の基本であろう。
この年になってもそれができない。

私は、子供の頃から、内気で消極的だと言われ続けてきた。
いまだにそれが克服できていない。
誰かこの性格をたたきなおしてくれる人はいないものか?

じゅんじゅん先生の事を聞けたり、アメをもらうために手を出せたらどんなにいいかと思います。
そんなことができる人がうらやましい。