若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

さびしい人

昨日の日記で、習字の先生のことを思い出してしまった。

小学一年から六年まで習った。
小さな孫がいたから、それなりの年齢だっただろう。
私から見れば、完全な老人であった。

昔、恐いと思った先生や、近所のうるさかったおばさんでも、今思い出すとなんとなくほのぼのするものだけれど、この習字の先生だけは、残念ながら「ほのぼの感」の全くない人である。

高校の頃、町で先生を見かけたことがある。
つえをついて、非常にさびしそうに見えた。

とにかく、子供をほめない人だった。
和田君という子だけはよくほめていたが、そのほかは、絶えずがみがみののしるという感じだった。

先生の前に、皆正座している。
誰かがおならをした。
「誰じゃ!」と怒鳴って先生は、その子の前に線香を立てた。

あるとき、誰かがおならした。
「誰じゃ!」
和田君だった。
先生は、「うむ、和田のおならは、え〜音じゃ」と言った。
ほんとですよ。

「何年生じゃ!?五年?どうせご念のいった勉強しとるんじゃろ!」
ビスコでも食べながら字を書いとるんか!」
こんな言葉を覚えている。

先生の家の隣が、バッテリー屋だった。
ある日、いつにも増して怒った先生が
「どうせワシのことをバッテリー屋の隣のおっさんくらいに思とるんじゃろ!」と怒鳴ったことがあった。

子供相手にこんなことを言うとは、今にして思えば、よほど精神的に鬱屈したものがあったのだろう。
サディスティックに当り散らすという感じである。
子供はいい迷惑だ。

自宅以外でも教えていたようで、毎年、市の公会堂で展覧会をしたから、生徒数はかなりのものだったと思うが、子供を教えるには全く不向きな人だった。

その先生が、自分の孫のことを話すときはいつも
「孫さんが」と言った。
私は、子供心に、「その言葉使いはおかしい」と思った。

私の妹も私に続いてこの先生に習いだしたが、すぐ駄々をこねてやめてしまった。
そして、他の優しい先生について、書道が好きになって、高校大学は書道部に入るほどであった。

妹と違っておりこうちゃんだった私は、親に駄々をこねたりせずじっと六年間我慢して、すっかり字を書くのが嫌いになってしまった。

私が字が下手なのは、この先生のせいだと信じている。