日米同盟が大事だという話でYさんを思い出した。
私が大学入試の時泊めてもらった家のご主人である。
40才くらいだったと思うが、海軍で戦闘機に乗っていたと話された。
そう言われると、何となく「武人」らしい風貌だと思った。
たまたま日米安全保障条約の話になった時、厳しい表情で
「ぼくはアメリカさんといっしょに戦うなんてごめんですね」
と言われた。
驚いた。
アメリカに対してそういう感覚を持っている人がいたのだ。
中学一年の時数学を習ったT先生は、陸軍士官学校出身だと言われた。
面白い、人気のある先生だった。
陸軍士官学校で、一歩の歩幅を厳しく指導されたので、今でも先生の一歩は○×センチだと言われた。
当然、「うそー!」と声があがる。
先生は、「じゃ、はかってごらん」と、一歩踏み出された。
計ってみると確かに○×センチだった。
先生は生徒に手をあげさせたとき、数えもせず瞬時に、「はい、17人!」などと言われた。
当然、「うそー!」と声があがる。
で数えなおすと、ピッタリ17人なのである。
こういう風に、先生は私たちをよく煙に巻いた。
先生の名前は「剛毅」と書いて「ひでき」と読む。
最初の授業の時に、黒板に書いて自己紹介されたので覚えているのだ。
ある日先生は、自分の年を言われた。
38才だったか。
一番前の席の女の子が、「うそー!」と言った。
先生は、「ウソと違いますよ」と言って、その女の子に定期券を見せた。
「あ、ほんとや。・・・あれー?先生の名前、剛毅と違う!
りゅ・・・りゅう・・・りゅうきち?・・・留吉!とめきちやんか!」
先生はあわてて定期券を取り戻した。
ばつが悪そうに笑いながら
「私は7人兄弟の末っ子で、親に学問がなかったもので、『留吉』なんて名前をつけられまして、『剛毅』というのは自分でつけた名前です」と言われた。
何年か前、中学の同窓会誌でT先生が取り上げられていた。
府立高校の校長を務められたあと、現在は宗教家であると書いてあった。
相変わらず煙に巻いておられるのだろうかと不謹慎なことを考えてしまった。
T先生の話と日米同盟は関係ない。
話題が深まらないのは私の限界だ。