若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

遺愛の品

母のいる施設に行く。

2階にいたYさんという女性が、母と同じ1階に移って来られた。
Yさんの部屋の前に自作の油絵がかかっていた。
花の絵だ。
「市民文化祭」にでも出品されたのではないかと思える、普通の素人の素朴な感じのいい油絵だ。
Yさんと絵の話でもしたいところだが、Yさんはすでにそういう状態ではない。

私がもっと若ければ、こういう普通の絵のことで話をする気にならなかっただろう。
こっちがその気になった時、相手が話をできる状態でないのは残念だ。

亡くなった父や伯母たちについてもそう思う。
たった数年のことなのに、今なら聞きたいことがいっぱいあるのにと思ってしまう。

で、物が残っているのはいいことだ。
私の祖父は、私が生まれる前に亡くなっているが、いろんな物を残しているので子供の頃から身近に感じた。
おじいさんの掛け軸、おじいさんの置物、おじいさんの蓄音機。

物を残すのは簡単そうだが、その人の存在を感じさせてくれる物となると、そう簡単ではなさそうだ。

九州で亡くなった伯母は、社会的に活躍した人で、勲章も貰ったが、伯母が貰った勲章を思い出の品として欲しいとは思わない。
身辺を飾ることのない人だったから、「遺愛の品」というほどのものはなかった。
ただ一つ大きな電気スタンドがあって、私はこれを貰った。
部屋においてあるので、いつも伯母を感じる。

この伯母の形見分けで驚いたのは、90を過ぎて病床にあった伯母の姉が、妹の着物を見たいと言ってわざわざやってきたことだ。
この年齢の女性にとっては、着物と言うのは特別の意味があるのかと思った。

父が亡くなった時、形見として腕時計とネクタイがほしいと思った。
身近に父が感じられると思ったからだ。

ところが、納棺の時、妹と家内が棺桶にネクタイを入れてしまった。
私は、ワッ!それ、ほしかったのに!と思ったが、一度棺桶に入れたネクタイを取り戻すのもどうかと思って、泣く泣くあきらめたのであった。

私の形見になりそうなのは、今のところエレキギターくらいだ。
葬式のときに流してもらうのは、レッド・ツエッペリンの「天国への階段」にするか、キッスの「地獄の狂獣」にするか迷う所だ。