若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

「捕虜」

パウル・カレルとギュンター・ベデカーのこの本は、第二次大戦中に捕虜になった約1100万人のドイツ人の記録である。

この本を読んで先ず驚いたのは、この本が西ドイツ政府の記録を元に書かれたということだ。

1956年に最後の復員兵が戻ると、西ドイツの「難民、戦争被災者省」は、「第二次大戦ドイツ人捕虜の運命記録のための学術委員会」を設立した。
復員兵からの聞き取り、相手国への調査などを通じて、各国での捕虜の暮らしを記録しようというのだ。
作業開始が1957年、終了が1974年。その結果は1万ページ、22巻にまとめられた。

私たちとはだいぶ違う。
1970年、世界の国から今日はと万国博で浮かれていたときも、この作業は続けられていたのだ。
私は、万国博のドイツ館でビールを飲んだ。
何の話か。
「捕虜」だ。

「捕虜」といえば「脱走」だが、フランスの捕虜収容所からは、十数万人が脱走し、約半数がドイツに逃げ帰っている。
歩いて帰れるのが強味だ。
日本人が捕虜になったらそうはいかない。

日本人が「捕虜」と聞くと、シベリアの強制労働を思い浮かべるだろう。
ドイツ人もいろんな国で強制的に働かされている。
この本では「貸し出された奴隷」と表現されている。

イギリスに連行されたドイツ人捕虜は、「おまえたちが壊したのだ。おまえたちが片付けろ」と言われたそうだ。
なるほど。シベリアとは違う。

強制労働と言っても色々ある。
炭鉱などに動員された捕虜には、シベリアの日本人と同じ悲惨な運命が待っていたが、農家に配属された捕虜は、家族同様に扱われることが多かったようだ。
どこの国でも、「組織」は、人間を人間扱いしないということだろう。

捕虜を最も優遇したのはイギリスだ。
栄養、衛生などほぼ問題無く、栄養などはイギリス国民を上回る状況だったという。
「イギリスは第二の故郷」という捕虜もいるほどだ。

特に将校に対しては、食事の他に、イギリスでも不足していたハムやチーズなどを与え、ドイツの家族に送らせたそうだ。

紳士の国!ジュネーブ条約遵守!どころの話ではない。
こうしておけば、イギリスは捕虜を大事にする、イギリスの捕虜になるのは悪くない、命がけで戦うのはやめよう、と考えるだろうというのだ。

イギリスには、脱走じゃなくて脱帽だ。