朝、家を出ると虹だ。
虹に向かって歩いていく。
うれしい。
私が歩いて行ったからかどうか、虹はすぐ消えてしまった。
雑草と同じで、空もいつどこで見ても文句のつけようがない。
晴れていようが曇っていようが、空の様子に文句をつけたくなったことはない。
雲の形や色に不満を持ったことはない。
夕焼けがどぎつすぎるとか、薄めすぎとか思ったこともない。
それでも、「すばらしい!」と思える雲や夕焼けに出会うことはめったにない。
人を感動させるのはそれほど難しいと言うことか、あるいは私が自分勝手なぜいたくでわがままな客なのか。
虹は、「大空商店」の、「時間限定特別大サービス!」だ。
スーパーなら、お買い物上手な奥様たちが殺到するところだ。
奥様たちと押し合いへし合い、奪い合いせず、虹を眺められるのはありがたい。
私は「雲の研究」で表彰されたことがある。
小学校3年生の夏休みの自由課題で、「雲の研究」をしたのだ。
「雲の研究」とは、毎日空を見上げて、その時の雲を画用紙にクレパスで描いて、「8月3日、積乱雲」などと書き付けただけである。
提出する時、私は「雲の観察」にしようと思ったが、母は「雲の研究」にしなさいと言った。
子供心に、「研究」はちょっと・・・と思った。
気恥ずかしい気がしたが、母がそうしろと言うので「雲の研究」として提出した。
気恥ずかしさはすぐ消えた。
先生から、「市立小学校夏休み課題展」で銅賞になったと言われたからだ。
誇らしさで胸がいっぱいであった。
誇らしさもすぐ消えた。
会場の公会堂には、とても立派な「植物採集」や「昆虫採集」などが並んでいたのだ。
私の「雲の研究」は、どうひいき目に見ても「お粗末」であった。
不正を犯したような気分であった。
この経験があるので、「文化勲章」をやると言われても、一応辞退しようと思っている。
空をただで見られるのはありがたい。
ただではなくて、四苦八苦を背負ってこの世に生きてあることが代価であるとも言える。
癒し系詩人ならこうだ。
「青空
夕焼け
雲
虹
空はどうしてあんなにも
ぼくたちを楽しませてくれるんだろう
それはね
生きてることへのごほうびなんだよ」
「雑草」と同じ?
癒し系詩人は、ワンパターンなのだ!
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