夫婦の会話は、結婚生活が長くなるにつれて少なくなる傾向がある。
特に夫がしゃべらなくなる。
一昔前に言われた、「メシ」「風呂」「寝る」がその典型である。
しかし、えらそうに威張っていられただけましだったのである。
最近では、リストラや長時間労働など、職場での労働環境の悪化に伴い、それさえ言わない夫が増えている。
今は、妻のほうが言うのである。
「めし?」
「風呂?」
「寝る?」
夫は力なくうなずくだけだ。
長年連れ添うと、会話はなくても気持ちは通じ合うかもしれない。
養老孟司さんが紹介していた夫婦。
ご主人が、筋無力症だったかで、ものが言えなくなり、手も足も動かすことができなくなった。
医師として患者の気持ちを知るすべがなくなってしまったのであったが、奥さんは、「目を見れば何を言いたいかわかります」と言われたそうだ。
確かに、目は口ほどにものを言うこともあるとはいえ、目にものを言わせる訓練は大変だと思うので、普段はしゃべってすませるほうがよろしい。
目で微妙な気持ちを伝えるのは非常に難しく、誤解も生じるので、せいぜい気絶したときに白目をむいて知らせるくらいにとどめるべきだ。
それくらいなら、時々白目をむく練習をしていればできるだろう。
この練習は、一人のときにしたほうがよい。
私は、よくしゃべるほうだろう。
家内に、黙ってなさい、と怒られるほどではないが、結構しゃべる。
絶えず、気の利いたことを言おうと緊張していることが必要だ。
そうでないと、アメリカのことわざみたいになる。
「気の利いたジョークとは、パーティから帰って思いつくものである」
先日の夕食、家内が、
「残り物でごめんね」と言った。
私は、
「何を言うんだい。キミの笑顔が、いつでもボクのメインディッシュさ」
と答えた。
こういう返事がごく自然に出るので、かつては「天才的結婚詐欺師」などと言われたこともある。
つらいところだ。