なぜそんな面白くなさそうな本を読むのかと思うのは素人の浅はかさである。
面白いと評判の本を読んで面白かったとしても面白くないではないか。
面白くなさそうな本を苦労して読んで、面白いところを一箇所でも見つけるのが面白い。
そういう経営理念に基づき、「若草鹿之助商店面白くない本を読んで面白いところを見つける事業部」は日夜地道な活動を続けている。
これは、アメリカのカトリックの神学者達が書いた本だ。
現代の非暴力主義者が、「古代のキリスト教徒たちは、非暴力主義で、兵役にもつかなかった」と主張するのは事実に反すると書いてある。
古代のキリスト教徒達は兵士として戦うことには疑問を抱かなかった。ただし、ローマ軍というのは、皇帝崇拝や軍旗に忠誠を誓うなど、偶像崇拝的な要素が多かったので、その点でキリスト教の教えと対立したのだという。
そうですか。
そういう面白くない話に付き合ってるヒマはない。
ローマ教会が天下を統一するまでは、キリスト教の戦国時代で、いろんな主義主張があったようだ。天下統一によって、いろんな主義主張はすべて「異端邪説」になる。
邪説とされた「トマスの福音書」の一節が紹介されている。
「私は、主イエスキリストの幼時とその偉業について伝えるべきだと考えた」
イエスが5歳のとき川辺で水たまりを作って遊んでいた。
イエスが泥で雀を作ったのを見た人が、安息日なのにととがめた。
イエスが祈ると雀は飛び去った。
イエスの少年時代というより、左甚五郎の少年時代だ。
男の子がイエスの作った水たまりの水を流してしまった。
イエスは怒って、「この悪党!不信心のばか!お前なんか枯れてしまえ!」とののしった。
ほほえましい。どこにでもいるふつうのわんぱく坊主みたいだ。
しかし、イエスはふつうの子ではない。
男の子は、全身干からびてしまったのだ。
またあるとき、イエスが村を歩いていると、走ってきた男の子とぶつかった。
イエスは怒って、「お前なんか死んでしまえ」と叫んだ。
ほほえましい。どこにでもいるふつうの男の子みたいだ。
しかし、イエスはふつうの子ではない。
男の子は死んでしまったのだ。
ギリシャ語を習っていて、先生に口答えしたイエスはほっぺたをたたかれた。
イエスが呪うと先生は気絶した。
こんなイエスの方が面白い!と思う人は火あぶりですよ。