若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

こうのとりはおかしい

秋篠宮紀子さんの妊娠に関する報道の中で、「こうのとり」という言葉が目に付いた。

こうのとり」が「あかちゃん」を運んでくるというのは西洋の伝説だと思うが、日本ではいつごろから一般化したのだろうか。

私がこの組み合わせを知ったのは、たぶん小学一年生のときだ。
学校からディズニー映画「ダンボ」を見に行った。
この映画で、こうのとりがあかちゃんダンボを運んできたと思う。

ヘンだな、と思ったことを覚えている。
赤ちゃんがうまれることについて、一年生の私がどういう想像をしていたのか忘れてしまったが、「こうのとりが運んでくる」というイメージは受け入れられなかった。

「お母さんから赤ちゃんがうまれる」という不思議な神秘的事態を説明できていないと感じた。
どこかでうまれた赤ちゃんを運んでいるだけだ。
これではお母さんが赤ちゃんをうむのではなくて、「もらい子」という感じだ。

その後も、テレビのアメリカの漫画で何度も見たが、そのたびにヘンだと思った。
いまだに納得できない。
こうのとりが赤ちゃんを運んでくる」というのは、どう考えても上手な説明とは思えない。
美しくもなければ面白くもない。

私は、小学一年生のときから終始一貫してこうのとりを認めていない。
今回、新聞やテレビで「こうのとり報道」を知り、がっかりした。
日本でこうのとりは認められていたのだ。

しかし、私は絶対にこうのとりを認めない。

次女が小学生のときのことだ。
テレビのニュースで、妊婦さんがタクシーの中で産気づき、苦しみながら何十分かかかって産院に到着して無事出産したことを放送した。

次女が眼を丸くして叫んだ。
「ええ〜〜〜っ!赤ちゃんて、ポーン!ってうまれるのとちがうの?」