なんということのない言葉なのに、強く印象に残って忘れられない言葉がある。
「ドンタスクルミ」がそうだ。
「ミルクスタンド」をさかさまに読むと「ドンタスクルミ」になる。
中学の時、電車で近鉄の上六まで通っていた。当時は上六が終点だった。駅のホームにその店があって、窓ガラスに「ミルクスタンド」と書いてあった。ふつうに左から右へ書いてあったのだが、ある日突然、逆に読むと「ドンタスクルミ」だと気づいた。
それからヘンなことになってしまった。どうしても「ドンタスクルミ」と読めてしまうのだ。はじめは、面白いなと思っていたが、だんだん不安になってきた。これはイカン!と思うようになった。「これは『ミルクスタンド』と書いてあるのだ!」と自分に言い聞かせて、そう読もうとするのに、どうしても「ドンタスクルミ」と読んでしまう。
原因はわかっていた。小学生のころ漫画をよく読んだ。当時の漫画に出てくる呪文とか外国人の名前には、「逆読み系」が多かった。
野球漫画『背番号ゼロ』の主人公は、バッターボックスに立つ時呪文を唱える。
「テミクヨ!」
ボールを「よく見て!」です。
そんなわけで、私は短いかなのことばが出てきたら、とりあえず逆から読んでみるという生活習慣が身についていたのだ。
私が「ドンタスクルミ」の呪縛から逃れられたのは、高校に入ってからだ。
心に残る言葉としてもうひとつ、「とまりききみてとおれ」がある。
これは、幼稚園に通っている時、幼稚園の近くの踏み切りに立っている白い棒に書いてあった。
文字を覚えるまでは、その棒には気づいていなかっただろう。
文字を覚えて間もない私にとって、「とまりききみてとおれ」は、理解不能な、実になぞめいた不安をかきたてる呪文であった。
毎日、踏み切りで見るたびに、なんとも言えぬ心細さを感じた。
不安に耐えかねて、母にどういう意味なのか聞いた。
「止まり、聞き、見て、通れ」
拍子抜けであった。
そんなことだったのか。しかし、そうだと知ってからも、「とまりききみてとおれ」は「止まり、聞き、見て、通れ」ではなく、「とまりききみてとおれ」として私に迫ってくるのであった。
「とまりききみてとおれ」の呪縛から、私はいまだに抜けきれていない。